第二部Ⅸ ④ありふれた日々の中にこそ  3.11への想い

流された七万本の松たちから作られた御札

第二部Ⅸ ④ありふれた日々の中にこそ
3.11への想い

 

昨年7月、久しぶりに陸前高田に行ってきた。
遠くから眺める一本松はひょろりと背が高くて、海を背景にポツンとさみしく感じるのだった。しかし近くによって見上げる松の、なんとまあ堂々と幹の太いことだろう。
塩害が幹深くまで達していて、とうとうレプリカとなってしまったのは本当にいたましい。

七万本の松たちの中で、この松は群を抜いて背の高い松だった。
少し高い場所から眺めると、整然と並ぶ多くの松の中に、頭ふたつ分ぐらい高くそびえて、どこか悪目立ちしていた記憶がある。
「やっぱり、きみだった・・きみは強かったのだね」
見上げながらつぶやいた。

いろいろと用事を済ませた後で、津波伝承館に寄った。
津波でひしゃげた消防車が、大津波の破壊力を物語る。

しかし、いちばん私の胸を打ったものは、津波前、かつての町々で行われていたごくふつうの生活や、祭りの様子を映すビデオだった。

多くの近隣の町々では獅子舞だが、
陸前高田では虎舞で、黄と黒のだんだら模様の虎が、大きく跳びはねて踊っているのだった。
近所のおじいさんたちやおばあさんたちの笑顔。
きっと、孫がササラとなって虎を誘導しながら踊っているに違いない。
お祭りにはまだ参加できない小さな子どもたちも、首を振ったり体をかしげたりなどして、ササラや虎の真似をしている。
賑やかな歓声が聞こえた気がした。

ふと、この中には収録されることのなかった、たくさんの日常があったはずだという思いがわいた。
ありふれた日々の記憶が、どっと押し寄せてきて、私は、思わず知らず泣いていた。

3.11はその日ばかりではなく、いつもすぐ隣にある。


      

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