(2)ゴットマザーは 茶トラ猫 (1990年)
ちいさな茶トラだった。
その猫が、わたしの知る猫たちの祖となろうとは。
深海のような濃緑色の大きな眼をしていた。
顔中目だらけ、といった感じで、イメージとしては少女漫画の主人公のよう。
いつまでも子猫然として見えたのは、脚が短かったせいかもしれない。
今にして思うと、マンチカン系の猫だったのではないだろうか。
秋口のこと。
庭のフェンスを通ろうとしてお腹がつっかえた。
太ったのかと思ったがそうではなく、妊娠しているのだった。
「ねえ、あかちゃんがいるの、そのお腹?」
茶トラ猫はわたしの言葉がわかったようにうつむいた。
非難されたとでも思ったのか、そのあとしばらく姿を消した。
次に来たときには、お腹はすっきりとしていた。
「こども、うんだの?」
くちパカで、声を出さずにお返事した。
(そです)といったと思う。
茶トラ猫は、少女のようでいながら、そのあといくども妊娠した。
一年に二度。あるときは三匹、あるときは五匹・・という具合に・・。
子猫を引きつれ歩く姿は、いつも堂々として頼もしい母猫ぶりだった。
・・しかし、こんなふうに増えていったらどうしよう・・。
猫好きばかりではないわけだから、不安が頭をよぎった。
当時のわたしは、地域猫に去勢手術を施して、
食餌や糞の世話をする人たちがいるということを、知らなかった。
四年ほど経ったころ、茶トラ猫はぷっつりと姿を消した。
「にゃんこちゃん」という名前をつけてもらって、近所の飼い猫になっていたのだ。
わたしを認識しているはずなのに、会っても素知らぬふりをした。
それは、飼い猫としての矜持だったのかもしれない。
コメント
素敵なブログです。思わず一気読みしてしまいました。
猫を飼ったことがある無しに関わらず、読み始めるとすぐに惹き込まれてしまうのは、筆者である若月としこさんの文章の魅力なのでしょう。
ぞうきん猫が子猫をたしなめる場面からネズミが横たわっているくだりは、何度読んでも笑いがこぼれてきます。 と同時に、自分たち人間の品格は、ともすれば猫以下に成り下がってはいないかと、ふと省みてしまいます。
さらっと読めて、とても面白い。
さらっと読めるのだけど、味わい深い。
これからの更新が日々楽しみです。