(8)にゃんこ亭の猫たち ⑦「猫の人」の誇り
クマくんは、赤ちゃんの時から、
М氏の手で育てられているので、
猫というより、なんとなく人っぽい。
母猫に、猫としての[いろは]を教わらないうちに、
人の社会で暮らし始めたせいかもしれない。
わたしはそんなクマくんを、「猫の人」と呼んでいる。
猫の人は、人との付き合いが上手である。
わたしの家のほか、前述のミセスK、
わたしの近所のSさん、
ミセスKの友人のIさん、
М氏の友人のTさんと、Fさん、
知る限りでも、これだけの家に出入りしている。
そして、みんな口をそろえて、
「お行儀がとってもいいよね」とか
「フレンドリーだし、いい子よね」という。
猫好きたちは、
庭に来る猫のために、おやつの用意をしている。
ところが、クマくんは、おやつをチラリと見るだけ。
鼻先に持って行っても、
『いまはいらない』といったりする。
いかにも育ちの良い猫といった雰囲気が漂う。
食べ物を出すしか能のないわたしたちを、
『また、食べ物なの?』と、ユウウツそうに見つめる。
どうやら、そんなものより、
わたしたちとの心の通い合いを求めている、と感じる。
おもしろい出来事とか・・季節の話題とか・・。
話してあげると、耳を立てて聞いている。
猫の人は、人的な扱いをしても、いやがらない。
家の中に入るときは、足も体も拭かせてくれる。
決して牙を剥くことも、爪を出したりもしない。
余裕しゃくしゃくである。
そのようなところが、
[猫を飼う]という態勢が整っていない・・けれども
[猫が大好き]という家には、好まれるのだろう。
そして、長居はしない。
空の様子で時間が分かるらしくて、
夕方5時になると、あっさり、
『また来るね』といって帰って行く。
引き止めても、『帰らなくちゃ』という。
М氏に訊ねたら、5時は夕食の時間なのだという。
待つ人のいる「猫の人の誇り」さえ、感じられるのだ。
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