(Ⅳ)にゃんこ亭の猫たち ①ボス猫の老い・・ (2000年 秋)
このあたりのボス猫だったニセマンにも、
老いがしのび寄ってきたようだった・・。
【(8)にゃんこ亭の猫たち ⑧ニセマン 参照】➡
ニセマンには、ボス猫としての矜持があるらしくて、
飢えたからといって、にゃんこ亭を頼ろうとはしなかった。
この猫が、わたしの庭に姿を見せるのは、怪我をした時だけ。
ボロボロになって、何度も訪れたが、
そのたびに復活して、さらに勢力を拡大していた。
ほんとうに強い猫だった!
ある日。
向こうの角を曲がったのは、間違いなくニセマンだった。
それでも、「まさか・・」という思いが湧く。
筋肉質でがっしりとしていたはずなのに、
背骨がとがって、臀部にかけての筋肉がやせていた。
ほどなく、ニセマンはにゃんこ亭にやってきた。
見たところ、どこにも傷は無いのに、いつもと違う。
赤黒く、よどんだような涙が流れていて、
それが体調の悪さの証のようだった。
「ニセマン、どうした?」
勇ましくも獰猛な『シャー!』という威嚇を期待したが、
赤黒い涙眼で、じっとわたしを見つめた。
陽気で強気で、堂々としたボス猫の姿ではなかった。
とにかく、栄養のある食餌をさせよう。
そう思って缶詰を器に開けたが、食欲もない様子で、
チラリと横目で見ただけ・・。
大儀そうに眼を閉じてしまった。
「弱りきったニセマンは、ニセマンじゃないよ!」
何の反応もない。・・これは、たいへんだ。
にゃんこ亭は、「猫来庭病院」に早変わりした。
やわらかい布を敷いてあげようと思うが、
ニセマンは、どんなときでも爪を出す、油断大敵の猫だ。
さて、どうしようか・・。
近所の薬局から大きな箱を貰い受け、
古いタオルシーツを重ね折りして中に敷いて、ふたを閉じた。
側面に、ニセマンの頭がくぐるくらいの入口を開けて、
濡れ縁に置いたが、入る気配はない。
・・人を信じていないのだから無理はない。
何日か、かかるだろうと思っていたら、
いつの間にか、すっぽりと中に入り込んでいた。
こうも、あっさりと入ってしまうなんて・・。
ニセマンの具合は、よほど悪いに違いない。
わたしは、台所用の分厚いミトン手袋をはめて、
猫用ミルクの入った器を持っていた。
深々と刺さった、いつぞやの爪攻撃・・。
その痛い思い出が、そんな武装をさせたのだった。
箱に開けた入口から、鼻先が見えている。
ミルクの器を、こわごわ、入口近くに置いた。
爪は襲ってこなかった・・が、のそっと顔が出てきた。
においをかいで、やっとペロペロ飲み始めた。
赤黒い涙も拭いてやりたいが、とても、そんな勇気はない。
子猫用のミルクと、老猫用のやわらかい食餌(抗生剤入り)とで、
十日ばかり養生しただろうか・・。
体調は、すこし良くなってきていたが、
かつての【おれさま】の威風は感じられない。
いかにも、おじいさん猫のたたずまいで、顔から険が消えていた。
ミトン手袋の出番も、すっかり無くなって、
獰猛な『シャー!』が懐かしくなるほどなのだった。
穏やかな午後、箱から出てきたニセマンに声を掛けた。
「・・頭、撫でていいかな?」
ピクリと耳が動いたが、じっとしている。
指一本で、そーっと、撫でる。
だいじょうぶかな・・?
わたしは、まだ、おっかなびっくりだ。
ニセマンは、じっと目を閉じている。
「・・いいこだね」
指二本・・三本・・そっと、そっと・・。
ついに、手のひら全部で、撫でた。
やった!!
「ね、こわくないでしょ・・」
・・チラリと眼を上げた。
かつての【おれさま】の威厳が、かすかに覗いた。
『そいつは、おいらのセリフだぜ』
ニセマンにだって、きっと言い分はあったろう・・。
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